PAマンのひとりごと
vol.03 街の劇場ホールが私たちの職場

こんにちは PAマンの小野です。

ご無沙汰しています。2020年4月1日のvol.2を最後にコラム「PAマンのひとりごと」が途絶えてしまい、申し訳ありませんでした。

新型コロナウイルスの襲来は、私のPAマン人生において最大の出来事です。そんな中でも皆様に楽しんでいただこうと、野外フェスシーズンに向けて一度は筆を執ったのですが“なにを悠長につぶやいているんだ! そんな場合か!!”と天からの声が聞こえてきて、自分があまりにも“浮世離れしたお気楽くん”であると感じて、フリーズしていました。

人々が集まれない事態、これは何を意味するのでしょうか? 大勢の人がいてこそライブです。本当に大変な場面に直面して、改めて驚いています。しかしながら、リアルを取り戻す努力も世界中で行われています。

このタイミングでこのコラムを再開させていただきます! どうぞよろしくお願いいたします。

前回の告知で大型フェスについてお話しすると書きましたが、ちょっと変更させてください。今回から2回ほど、PAマンの基本部分である「音づくり」の中でも、建物との関係性についてお話します。

私たちの職場は劇場ホール


音響チーム 照明チーム 楽器チーム 大道具チームが仕込みを行っています。それぞれの職場として中心になるのが劇場ホールのステージです。


「PAマンの職場は?」と聞かれたら、コンサート会場と答えることになるでしょう。コンサートツアーでは、北は北海道、南は沖縄と、全国の劇場ホールを回ります。それぞれの街にある劇場ホールがPAマンの職場であり、そこにPAを持ち込んで音を作るのが、私たちの仕事です。

ただし全国を回っていても、行動範囲はその街の劇場ホール、宿泊ホテル、飲み屋街の3拠点だけ。ちょっともったいないですね(笑)。だから観光旅行的なことは、一切していません。コンサートが終わって片付けて、それからバスで4時間ぐらい乗り、朝方3時ぐらいにその次の町のホテルに入るというサイクルで、それが4、5日続く時もありました。

そんな時でもいろいろな土地を訪れるのは、とても楽しかったです。特に、4、5日現場が続いた後の移動日は楽しみでした。その日は次の街へ移動するだけ(前乗り)。電車だったりバスだったり、ゆっくり起きて集合して移動、束の間のゆっくりタイムです。
繁華街を探索したり、買い物したり、仲間とごはんツアーを企画したり…
なんてことはないことが、”旅”の一番の思い出です。


 

なぜ毎日音が違うのか

全国の街を何度か訪れていると、その街のホールの特徴が分かってきます。ここはやりやすいとか、逆にやりにくいとか。私は手帳(全国劇場ホールのデータが記されているヒビノ手帳)に、“今日の点数65点。低域の処理が難しい”などと、その日の出来具合や印象などを記入するようにしていました。そして「次回訪れる時には、これを見返してやろう!」と心に決めて、1点でも評価が上がるように心血を注ぎます。


毎公演、その時感じたことを手帳にびっしり書いていきます。これは私にとって大きな財産ですね。
※現在45冊目に突入しています。

そうやって毎日ツアーのスケジュールをこなしていく中で、ふと「同じ機材なのに、どうして毎日音が違うのだろう?」と疑問を感じるようになりました。

しかし忙しさの方が勝っていて、それがなぜかを突き詰めて考えることができません。特に80、90年代はスケジュールが詰まっていて、多いときで日本を年に4周ぐらい回りました。出張(私たちは“旅”と呼んでます)の日数は多いときで120泊を超え、1年の3分の1は家に帰れません。ほとんど遠洋漁業の方たちと同じような境遇でしたね。

だから音の理論をしっかり学ぶ時間を取ることは不可能でした。スピーカーのスタイルやマイクを変えたり、ミキサー卓のクオリティなどに思いを馳せたり、自らのクセを反省したりと、とりあえず自分ができる範囲で対処していったのです。そのうち「この音の跳ね返りはヤバい! 厚手のカーテンとか、壁につけたいよ」などと電気音響以外のことまで考え始めたりして。飲み屋での話題では「どうして“いい音”が出ないのか? 良い音がしないのは生音が原因か? ホールのせいか? いや自分でしょ!」なんて冗談も混ぜて言い合ったりしました。当時は“1mmでも良い音を!”ということしか考えていなくて、そんな話ばかりしていましたね。

北海道のとある街を訪れた時のお話です。本番終了、バラシも終了! 後は夜の街へと出かけるだけ。その小さな街の繁華街には夜になると2、3軒ほどのお店しか営業していなくて、私たちチームは入れる店に入るという状況でした。店内は今では体験できない3密状態で大盛況。そしてコンサート帰りのお客さんが多く、周りの話題は今日のコンサートのことばかりでした。

大好きなアーティストのコンサートを観ることができて少し興奮気味な人もいて、店内はワイワイ、キャーキャー。「サイコー!」なんて聞こえてきます。静かな街ですがここだけは別です。そのうち女性のグループの話し声が耳に飛び込んできました。

「今日、音が聴きづらかったよね」
「そうそう! なんかモヤーっとしてさぁ」

“えっっ! 聴こえづらかった!?”

PAマンとして、さすがにこの話はショックで。どんなふうに聴こえづらかったのか、直接話を聞いてみたい衝動にかられましたが、冷静を保ちながらもじっと考えていました。

「どこの席にいたんだろう?」
「どの曲の時だろう?」
「ローが多すぎたのかな? 今日のホール悪くないのに」

と、ひとりごとをつぶやく私がいました。

でも一向に「これだ!」という解決策に出会うことができませんでした。その後、「建築音響」という建築空間と音響設計の関係性を研究する学問があることを知ったのは、だいぶ後のことになります。

次回は「建築音響」について、お話したいと思います。

■PAマンのひとりごと
vol.01 はじめまして小野です
vol.02 音づくりの現場から
vol.03 街の劇場ホールが私たちの職場
vol.04 音づくりの基本「建築音響」との出会い


小野 良行 ヒビノ株式会社 サウンドシステムデザイナー

1976年にヒビノ電気音響株式会社(現ヒビノ株式会社)入社。
コンサート音響部門に所属し、数々の海外アーティストを手がけ、国内アーティストのツアーにも多数参加。ライブのサウンドエンジニアとして、56アーティストのチーフエンジニアを担当するなど活躍。現在は、大規模なイベントプロジェクトの音響を受け持ちながら、後任の育成などを担当している。