PAマンのひとりごと
vol.04 音づくりの基本「建築音響」との出会い

こんにちは。PAマンの小野です。第4回は良い音を求めて出会った「建築音響」のお話をします。

建物が音づくりに影響している!?

全国の劇場ホールを回っていると、PAマンとして好きなホール、苦手なホールが出てきます。特に苦手なホールで仕事をする時の意気込みたるや この頃よく使われる“全集中”という言葉がピッタリくると思うのです。前回のリベンジなのは言うまでもありません。 
PAの良い悪いを左右する重要な仕込みとしてスピーカーの組立があります。何もない舞台の上手下手(舞台用語で舞台に向かって左側が下手、右側が上手)の決められたスペースに組んでいきます。この時の自分を思い起こすとスゴイ形相をしていたと思います。
お見せできないのが残念ですが、本当に必死。
スピーカーをセットする時には、ある意味今日の覚悟をすべて詰め込むというか……。
うまく言えませんが、自分なりにいろいろとセッティングを工夫し、一本勝負を仕掛けて「さぁー!どうだぁー!!」といった感じで挑戦状を叩き付けるかのような感覚です。ただし、この作業は大変危険を伴うものなので安全第一が基本です。ホールの担当職員も見守る中、冷静沈着に戦いを進めます。もうこれは戦いです! 

しかし毎回、こういった仕事の手応えを手帳に記録していて、「どうしてこのホールは苦手なんだろう?」という疑問がわいてきました。何十回も通って、その度にいろいろ変えているのに、少し良くなるくらいで終わってしまう。逆に好きなホールはそれほど悩まなくても、毎回楽に音が出せる。

そこで私は「やはり建物の影響は否めない」と思うようになりました。しかし80年代から90年代はイカ天などのバンドブームをきっかけに日本の音楽シーンは右肩上がりに拡大の一途、ライブの数が飛躍的に増えて忙しかったため、現場をこなすので精一杯。ただただスケジュールをこなす毎日でした。

その原因の追究と対策は先延ばしにしてしまっていたのです。他の人の現場でも同じ状況が起きていたと思うのですが、PAマンはそれぞれの問題を共有し合うという風土はまだ根付いていませんでした。
“あそこのホールってやりづらいよね”
“いやそうでもないよ”
“・・・・・・”
同僚とはこんな会話でした。
PAマン個々が個々の悩みとして悶々とした日々を送っていたのです。




古代の叡智が伝えていた「建築音響」

この問題としっかり向き合えるようになったのは、実は90年代後半以降です。「え? そんな最近の話なの?」と驚かれる人もいるかもしれませんが、実はそうなんです。
その頃を前後して日本の音楽シーンは拡大傾向にあり、必然的に劇場ホールだけではなくアリーナなど多目的な会場でのコンサートが台頭してきました。PAマンには更なる試練の波が押し寄せます。
この頃から建物の構造がいかに音響に影響するかという考え方に気が付きはじめます。
つまり建築空間の音響設計です。

音って音波というぐらいで波なんですよね。波は対岸に打ち寄せると必ず跳ね返ってきます。岸に向かう波と岸に跳ね返って戻る波がぶつかり合い、それまできれいな形をしていた波は乱れ、予想もつかない方向に散らばってしまいます。よく言う”ぐしゃぐしゃな音”(音の干渉)ってこれですね
“建築空間では音の干渉作用により定在波という現象が起こり自分の意図しない音場が形成されてしまう”
私たちの職場ではこんなことが起きていたのですね。


きれいな波


干渉している波

そんなことともつゆ知らず、強引に爆音にしてみたり、音にエッジをつけたり、無茶苦茶なミキシングを繰り返していました。音が跳ね返るって感じた時がチャンスだったのに!

この考え方を知って、「自分たちが悩んでいた原因はこれだったのか!」と理解できたと同時に、私はある出来事を思い出していました。

ちょっと話はそれますが、それは私が若かりし頃、ひょんなことからギリシャのアテネを訪れた時のこと。しかも格安チケットで(余談ですが、私の奥さんが航空会社勤務だったもんで。へぇへぇ、スイマセン!)。その観光旅行コースの中に古代円形劇場訪問っていうのがありまして、今思うとスゴイ体験だったなと。

大きな円形劇場に案内された私たちは、階段状の客席にそれぞれバラバラに座ってガイドさんの説明を聞きました。するとガイドさんは大きな円形劇場の中心点にある丸い小石の上に立ち、紙幣を取り出してシャカシャカとこすり始めました。その音はかなり遠くに座っていた私たちの耳もとで、シャカシャカと響いたのです。「え?こんなに離れているのに、ちゃんと音が届いている!」。計算しつくされた建物であるからこそ可能だったわけですが、こんな建物が紀元前の時代に造られていたなんて!本当にビックリでした。
改めて音場に対していかに建築音響の影響が多大であるかを認識した訳です。

アテネの円形劇場。古代に作られた建築物は、緻密な計算と理論で成り立っています。

建築音響に本格的に取り組む時期がいつだったのか?自分の手帳を基にやっぱり劇場ホールだけの時代は気が付くことがない。1988年に東京ドームがオープン、自分もその年の8月にTM NETWORKで音場を体験させてもらいました。コンサート仕様でない施設の音響に立ち向かわざるを得ない状況になっていったのです。
もちろん武道館ライブやアリーナはずいぶん前から存在していましたが、それも気が付かない時代だったと個人的には思っています。
音響業界をハッとさせたと個人的には思っている出来事があります。1998年6月布袋寅泰さんの横浜アリーナでのコンサートです。まったく新たな理論の“ラインアレイ”スピーカーの日本デビューです。電気音響として建物空間の音響設計ができるシステム。私の会社でも導入しています。

電気音響に携わる私は「建築音響」に思いを馳せるようになり、対処法を模索するようになりました。現在では音場の様子を見える化できるソフトウェアの一般化によって手軽に音響調整ができるようになりました。建築音響を意識して音づくりをする今では過去の印象とは違う会場になったところもあります。
また劇場ホールのリニューアルや新しいアリーナ・ドームなどの出現によって、非常に良い音(建築音響)が出せる建物も少しずつ増えています。

PAマンは全国の音楽ファンが感動してくれることを願って、職場である劇場ホールのみならず、人が集まるすべてを舞台に頑張っています。
PA(電気音響)機材の進歩も相まって、これからのPAマンにとって、もっともっと“いい音”が出せる機会が増えることは、間違いないです! 期待しましょう!

■PAマンのひとりごと
vol.01 はじめまして小野です
vol.02 音づくりの現場から
vol.03 街の劇場ホールが私たちの職場
vol.04 音づくりの基本「建築音響」との出会い


小野 良行 ヒビノ株式会社 サウンドシステムデザイナー

1976年にヒビノ電気音響株式会社(現ヒビノ株式会社)入社。
コンサート音響部門に所属し、数々の海外アーティストを手がけ、国内アーティストのツアーにも多数参加。ライブのサウンドエンジニアとして、56アーティストのチーフエンジニアを担当するなど活躍。現在は、大規模なイベントプロジェクトの音響を受け持ちながら、後任の育成などを担当している。